愛しき人生のつくりかた

2016年1月23日(土) Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー!

季節は巡りゆく。思い出だけを残して―。

パリで静かな暮らしを楽しんでいた祖母が突然、姿を消した―。 ロマンは彼女を探す旅に出る。 手掛かりは祖母の記憶のどこかにあるはず…。 パリとノルマンディーを舞台に、人生の輝きを描き出す3世代の物語。

intro&story


パリの小さなアパルトマンに暮らすマドレーヌは、クリスマスを控えたある日、最愛の夫に先立たれた。3人の息子を育て上げ、ささやかだけど充実した人生を過ごしてきたマドレーヌは、ひとりになって初めてゆっくりと自分の人生を振り返り始める。親友のように仲の良い孫のロマンは夢見がちな学生で、小さなホテルで夜勤のアルバイトをしていた。そんなある日、マドレーヌはある夢を実現するため突然パリから姿を消したーー。ロマンは彼女を探す旅に出る。手掛かりは祖母の想い出のどこかにあるはず・・・。

おちゃめで心やさしきマドレーヌ役には国民的歌手のアニー・コルディ。女優としてはルネ・クレモン監督作『雨の訪問者』(70)やアラン・レネ監督作『風にそよぐ草』(09)等に出演した経歴を持つ。頼りない息子のミシェルには『仕立て屋の恋』の名優ミシェル・ブランがコミカルな芝居で確かな演技力を披露。監督は俳優として『エディット・ピアフから愛の賛歌~』等にも出演しているジャン=ポール・ルーヴで、ロマンが働くホテル・アシアナのオーナー、フィリップ役でも顔を出している。

主題歌はフランソワ・トリュフォー監督作『夜霧の恋人たち』でおなじみのシャルル・トレネの名曲『残されし恋には』。また、ロマンが夜番するホテルの名前と建物を、『夜霧~』でJ=P・レオ演じるアントワーヌが働いていたホテルと同じものに設定するなど、古き良き時代のパリへの嬉しい目配せを感じさせる。

対称的な美しさを放つパリとエトルタを舞台に、3世代の家族が人生を取り戻す光景には、寒い冬に心がじんわり温まるだろう。観た後に家族の声を聞きたくなる感動作が、ついに公開!

1967年、フランス北部のダンケルク生まれ。コメディ劇団Robins des Boisに参加すると同時に人気TVドラマシリーズ『女警部ジュリー・レスコー』に出演し、その名を知られるようになる。1998年にトマ・ヴァンサン監督の“Karnaval”で映画デビューし、2002年の『バティニョールおじさん』でセザール賞有望新人俳優賞を授賞。その後も『ロング・エンゲージメント』や『エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜』などに出演する。2008年には、1970年代に実在した犯罪者を描いた“Sans arme, ni haine, ni violence”で監督デビュー。2012年には自分に似た子供に出会い人生が変る男性が主人公の“Quand je serai petit”を発表。“Les Souvenirs”が長編3作目となる。
1952年パリ郊外生まれ。高校時代の友人であったクリスチャン・クラヴィエやジェラール・ジュニョらと劇団Splendideを結成し、映画では『レ・ブロンゼ』シリーズで成功を収める。カンヌ映画祭で男優賞を授賞した『タキシード』や『仕立て屋の恋』『マルセイユの決着』など話題作に出演しながら、舞台やTVでも活動。『他人のそら似』他、4本の監督作品がある。
1928年ブリュッセル生まれ。幼い頃からダンスと音楽を学び、若くしてその頭角を表す。1950年、パリの高級キャバレーであるリドで司会者として採用される。以来、700以上の曲を録音し、ガラ=コンサート、ミュージカルなどで活躍。1954年に有名歌手が多く出演した『パリは踊る』で映画にも進出、ルネ・クレモン監督の『雨の訪問者』やアラン・レネ監督の『風にそよぐ草』などに出演している。
年齢不詳。フランス南東部のギャップ生まれ。早くからTVやラジオの世界に関わり、1980年代後半にアラン・シャバらとお笑い集団Les Nulsを結成し、人気を博す。解散後は主に女優として活躍。2002年には監督作“Laisse tes mains sur mes hanches”で監督デビューを果たしている。また2014年の大ヒット作品でフランス映画祭でも上映された『ヴェルヌイユ家の結婚狂騒曲』で母親役を演じている。
1990年ブレスト生まれ。有名なヴィオリン奏者で指揮者の父を持ち、幼少時からヴァイオリンを学びながら、演劇学校にも通う。2008年、TVドラマシリーズ“Clem”で17才の父親役に選ばれ、5シーズンに渡って出演を果たす。映画では2009年に“Neuilly sa mère !”でデビュー。2014年から映画での活動を再開し、“Les Souvenirs”が初の重要な役となる。次回作は『おかしなおかしな訪問者』の第3弾。
1974年生まれ。文学とジャズの勉学を修め、現在はパリ在住。“Le Potentiel érotique de ma femme”“Nos séparations”“Les Souvenirs”“Je vais mieux”を始めとする12本の小説の作者であり、30カ国後以上で翻訳されている。2009年に出版された「ナタリー」は10つの文学賞を獲得。2011年には兄のステファンと共にオドレイ・トトゥとフランソワ・ダミアン主演で映画化の監督を務めた。“Les Souvenirs”は35万部以上を販売し、15カ国で訳されている。

ロマンが夜勤のアルバイトをするホテル。トリュフォーの名作「夜霧の恋人たち」でジャン=ピエール・レオ扮するアントワーヌ・ドワネルが働くホテルと同じ場所に同じ名前のホテルを再現して撮影している。

映画の冒頭とラストに登場する、パリを代表する墓地。作家のスタンダール、画家のドガ、作曲家ベルリオーズ、詩人ハイネ、映画監督フランソワ・トリュフォーもここに埋葬されている。

3人の息子たちがマドレーヌの誕生日を祝った場所。ごく普通の家族が日曜日のランチに出かけるような、あたたかな雰囲気の下町のレストラン。

ミシェルが定年まで勤め上げた郵便局。
ロマン宛のマドレーヌからのハガキの消印が押されていた場所。パリの主要ターミナル駅の一つで、ノルマンディー方面への列車が発着する。

interview


―家族の関係、特に父親との関係はあなたの作品によく出て来ます…
確かにそうです。父親との関係にとても興味があるのです。私たちが成長する時、成熟するためには「父親を殺す」ことが必要だとよく言います。私はこれが義務的な通過儀礼だとは思いません。別の方法で成長することもできると思うのです。父親的な存在だけが大人になることを教えるのではないのです。作品に登場するホテルの主人は、小説の中よりもかなり若くしています。これは彼を父親と競争する立場にしたくなかったからです。ここでは彼らはライバルではなく、補い合っているのです。

―この作品では異なった3つの世代の、人生の通過儀礼の軌跡を描いています。青年、父親、祖母…
人生を語るのは非常に難しい事ですが、これ以上に興味深いことはありません。日常生活、普通の人々とその経歴が私を魅了するのです。これが監督として作りたい、観客として見たい映画で、とてもフランス的です。

―登場人物は年齢に関わらず、皆、まだ自分の居場所を見つけていないかのように何かを探しています…
青年はまだ自分の進む道も愛も見つけておらず、父親は社会人生活の後に立ち向かう方法がよく分らず、ホテルの主人は息子と離れて住み、そして祖母も子供時代の土地に戻ることを渇望し、皆がある意味で探し続けています…。実際に私は自分のいるべき場所にいない人達が好きなのです。それも人生の一部です。ロマンはまだ違いますが、彼はすでに自分がいるべき場所にいることができないかもしれないのが怖いのです。これはミシェル・ブランの役にも当てはまります:定年退職がその発見のきっかけになるのです。同様に祖母も今まで成り行きに任せていたのに、突然、別の方向に進もうとするのです。そしてそれをうまく実現しようとしますが、人は時に、間違えてしまうのです。

―最初は「パリ風」のこの作品は、急変をすることなくエトルタに舞台を移します。このノルマンディーでの息抜きは重要だったのでしょうか?
物語が枝分かれしていく中で舞台を変える瞬間はあるものです。急変がないのはパリを地方の都市のように撮影しようと心がけたからだと思います。パリであろうとエトルタであろうと、人生や人々に眼を向けたという感覚があり、これが作品にまとまりを持たせ、2つの街を結びつけているのです。例えば反響し合っている2つのシーンがあります。青年がエトルタのカフェのドアを押すと同時に父親がパリのカフェの中に入って行きます。

―キャスティングはどのように進みましたか?
最初からアニー・コルディを祖母役に考えていました。彼女に脚本を送り、それから会ったのですが、すぐに彼女の視線の中にマドレーヌの姿を見い出しました。それからミシェル・ブランを考えました。彼は役選びにとても慎重なのですが、2日後にすぐ返事をくれました!私はとても嬉しく、誇りに思いました。ミシェルは偉大な俳優であるだけでなく、類い稀な映画監督、脚本家、台詞作家なのです。

―異なる領域の人達が撮影現場には集まったのですね…
アニー・コルディ、ミシェル・ブラン、シャンタル・ロビーと私には共通点があることに気付きました。オペレッタ、カフェ・テアトル、もしくはTVでのコントです。私たち全員が同じ経験をしているのです。俳優として、同じような系列に属していると思いました。

―音楽についての意図はどのようなものでしたか?
テーマ音楽は少しだけにしたいと思っていました。なぜならば音楽は様々な側面を持つ登場人物でもあり、作品にとって不可欠な構成要素だからです。作品と共に紡ぎ出されなければばらないのです。喜びとメランコリーが混ざった、軽くて、存在感のある、慎みのある音楽を必要としました。フィリップ・サルドゥーやフランソワ・ド・ルーベが作曲するようなタイプのメロディーです。 それからスタンダード・ナンバーの“Que reste-t-il de nos amours ?”(残されし恋には)を選び、現代に馴染むようにしました。ジュリアン・ドレがこれを歌いたいと言い、ご存知の通りの偉大な才能でこの曲を自分のものにしてしまいました。

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