2003年に『Oi ビシクレッタ』を撮り終えた私は、次のプロジェクトを探していました。どんなストーリーを語るべきなのかまではわかっていませんでしたが、適応とアイデンティティという問題をテーマのなかに織り込みたいということは、はっきりしていました。私個人にとって、とても身近なテーマだからです。その数ヵ月前にフェルナンド・モライスの「Coraçoes Sujos(汚れた心)」を購入していました。映画化しようと考えていたわけではなかったのですが、読んでみると、この本は素晴らしい物語を内包していると気づいたのです。私がぜひ問いたいと思っていた、適応とアイデンティティについてのストーリーであると同時に、サスペンスやラブストーリーにもなり得ると感じました。この本で語られている、戦後ブラジル日系人社会のなかで起きた抗争の物語は、現代に生きる私たちにとって切実な問題――不寛容、人種差別、原理主義、真実という概念――を孕んでいます。
映画『汚れた心』のなかで語られているストーリーはフィクションですが、フェルナンド・モライスの著書にある実話にもインスパイアされていますし、脚本家のダヴィド・F・メンデスとも協力し、2年以上の歳月をかけて史実を調べました。映画のストーリーは、1946年にブラジルの小さな町で暮らす日本人移民――ごく平凡な写真技師――を巡って展開します。この日本人は第2次世界大戦で日本が勝ったと説く組織のメンバーになります。ブラジル政府により、抑圧され、差別を受けていた日系人たちの80パーセントは、日本が戦争に勝ったと信じていました。日本が負けたということを受け入れた日系人は、こうした組織によって迫害され、殺された人もたくさんいました。この写真技師は組織の刺客になり、人目を忍んで運営されている日本語学校(日本語学校は政府によって禁止されていた)で教鞭を執っている妻は夫の変貌を目の当たりにし、ふたりの愛の物語は色あせていきます。
史実を調べ、ブラジル日系人社会で暮らす人々や、日本から来た日本人、この出来事について精通する研究者や作家、さらには70年近く前に実際に一連の事件を経験した人々と話をするなかで、ブラジルを舞台にしていながら、外国語で語られる異なる文化にまつわる物語を描くというプロジェクトと向き合う勇気を奮い起こすことができました。ブラジル国内で起きたこの戦争を体験した移民の子孫の方たちの多くが、こう言いました。「この出来事はガイジンでなければ語れない」 これは、この作品を作る上で、肝となる言葉でした。
『汚れた心』は構成こそ比較的シンプルですが、複雑な問題を問いかけています。こういったテーマを描きながら、暴力的なまでに強い愛についても語ることで、心に訴えかけるユニークな作品にしているのです。