剣の舞メインビジュアル
剣
の
舞
我が心の旋律
わずか8時間で生まれた伝説の名曲
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我が心の旋律
わずか8時間で生まれた伝説の名曲
コメント到着
「仮面舞踏会」「剣の舞」など数々の名曲を残した巨匠アラム・ハチャトゥリアン。第二次大戦下のソ連を舞台に、若き日を描いた感動の実話。
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7月31日(金)新宿武蔵野館ほか全国順次公開
「仮面舞踏会」「剣の舞」など数々の名曲を残した巨匠アラム・ハチャトゥリアン。第二次大戦下のソ連を舞台に、若き日を描いた感動の実話。
7月31日(金)新宿武蔵野館ほか全国順次公開
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Introduction

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世界屈指の演奏回数を誇る『剣の舞』
若き巨匠がひと晩で書き上げた名曲の誕生秘話

木琴の堅い音が激しく鳴り響き、サクソフォーンがエキゾチックな旋律を奏でる20世紀の名曲『剣の舞』。演奏時間はたった2分30秒の猛々しいメロディは日本では吹奏楽で演奏される機会も多く、運動会の徒競走の盛り上げ役としてもおなじみだ。ユネスコによると劇音楽で世界屈指の演奏回数を誇るこの曲は、意外なエピソードから誕生したという。
 1942年12月。コーカサス地方のアルメニアを舞台にしたバレエ『ガイーヌ』は、初演を目前だった。ところが、劇団幹部から最後を締めくくる勇壮な踊りの追加が命じられる。時はソビエト連邦に大粛清の嵐が吹き荒れた数年後。命令は絶対であり、失敗したら作曲家人生は終わる。そんな重圧を味方にして、1度聞いたら忘れられない『剣の舞』をひと晩で書き上げたのは、ソビエトが誇る現代作曲家のアラム・ハチャトゥリアン。現在のジョージアでアルメニア人の両親の4男として生まれ、モスクワとニューヨークで作曲を学んだ天才だ。バンクーバーオリンピックで女子フィギュアスケーターの浅田真央選手に銀メダルをもたらした、『仮面舞踏会』の作曲家である。

祖国アルメニアを思い書き上げたバレエ『ガイーヌ』
ハチャトゥリアンの願いは宿敵の手で壊されていく

 第二次世界大戦下のソ連。疎開中のキーロフ記念レニングラード国立オペラ・バレエ劇場は、10日後にお披露目するバレエ『ガイーヌ』のリハーサルに集中していた。しかし、アラムは振り付け家のニーナから修正を求められ、その上、文化省の役人プシュコフから曲を追加せよと難題を命じられる。過去にアラムとトラブルを起こしたプシュコフは、周囲を巻き込み復讐のチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ。作曲家としての意地とアルメリア人としての誇りを胸にアラムはピアノに向かう。様々な感情が渦巻く中、鍵盤の上でひとつのリズムが踊り始めた。
 祖国アルメニアへの思いを音楽で表現する情熱の作曲家アラムを演じるのは、ロシアで舞台やTVで活躍するアンバルツム・カバニャン。宿敵のプシュコフはアメリカのTVドラマ「24」などにも出演してたアレクサンドル・クズネツォフ。脚本と監督はウズベキスタン出身のベテラン、ユスプ・ラジコフ。本作の制作会社が行ったハチャトゥリアン物語の脚本コンテストで優勝し、映画化を勝ち取った。自伝や記録、遺族の証言から、不本意ながら生まれた『剣の舞』完成前後の2週間に着目し、5年の歳月をかけて史実を元に誕生秘話を執筆した。2018年4月にアルメリアの首都、エレバンの劇場で行った撮影では、ビロード革命が発生。デモ隊に劇場が包囲され、キャストとスタッフは5日間劇場に閉じ込められながらも撮影を強行。同録データにはデモ隊の叫び声や騒音が入っていたため、すべての音を再録音したという。映画も『剣の舞』同様に難産の末に生まれたのだ。
 生前、日本でも公演活動を行い、日本人作曲家との交流もあった巨匠ハチャトゥリアン。世界で愛される『剣の舞』に込められた民族の悲しみと世界平和への祈りが、今、明らかになる!
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世界屈指の演奏回数を誇る『剣の舞』
若き巨匠がひと晩で書き上げた名曲の誕生秘話

 木琴の堅い音が激しく鳴り響き、サクソフォーンがエキゾチックな旋律を奏でる20世紀の名曲『剣の舞』。演奏時間はたった2分30秒の猛々しいメロディは日本では吹奏楽で演奏される機会も多く、運動会の徒競走の盛り上げ役としてもおなじみだ。ユネスコによると劇音楽で世界屈指の演奏回数を誇るこの曲は、意外なエピソードから誕生したという。
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 1942年12月。コーカサス地方のアルメニアを舞台にしたバレエ『ガイーヌ』は、初演を目前だった。ところが、劇団幹部から最後を締めくくる勇壮な踊りの追加が命じられる。時はソビエト連邦に大粛清の嵐が吹き荒れた数年後。命令は絶対であり、失敗したら作曲家人生は終わる。そんな重圧を味方にして、1度聞いたら忘れられない『剣の舞』をひと晩で書き上げたのは、ソビエトが誇る現代作曲家のアラム・ハチャトゥリアン。現在のジョージアでアルメニア人の両親の4男として生まれ、モスクワとニューヨークで作曲を学んだ天才だ。バンクーバーオリンピックで女子フィギュアスケーターの浅田真央選手に銀メダルをもたらした、『仮面舞踏会』の作曲家である。
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祖国アルメニアを思い書き上げた
バレエ『ガイーヌ』
ハチャトゥリアンの願いは
宿敵の手で壊されていく

第二次世界大戦下のソ連。疎開中のキーロフ記念レニングラード国立オペラ・バレエ劇場は、10日後にお披露目するバレエ『ガイーヌ』のリハーサルに集中していた。しかし、アラムは振り付け家のニーナから修正を求められ、その上、文化省の役人プシュコフから曲を追加せよと難題を命じられる。過去にアラムとトラブルを起こしたプシュコフは、周囲を巻き込み復讐のチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ。作曲家としての意地とアルメリア人としての誇りを胸にアラムはピアノに向かう。様々な感情が渦巻く中、鍵盤の上でひとつのリズムが踊り始めた。
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 祖国アルメニアへの思いを音楽で表現する情熱の作曲家アラムを演じるのは、ロシアで舞台やTVで活躍するアンバルツム・カバニャン。宿敵のプシュコフはアメリカのTVドラマ「24」などにも出演してたアレクサンドル・クズネツォフ。脚本と監督はウズベキスタン出身のベテラン、ユスプ・ラジコフ。本作の制作会社が行ったハチャトゥリアン物語の脚本コンテストで優勝し、映画化を勝ち取った。自伝や記録、遺族の証言から、不本意ながら生まれた『剣の舞』完成前後の2週間に着目し、5年の歳月をかけて史実を元に誕生秘話を執筆した。
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2018年4月にアルメリアの首都、エレバンの劇場で行った撮影では、ビロード革命が発生。デモ隊に劇場が包囲され、キャストとスタッフは5日間劇場に閉じ込められながらも撮影を強行。同録データにはデモ隊の叫び声や騒音が入っていたため、すべての音を再録音したという。映画も『剣の舞』同様に難産の末に生まれたのだ。
 生前、日本でも公演活動を行い、日本人作曲家との交流もあった巨匠ハチャトゥリアン。世界で愛される『剣の舞』に込められた民族の悲しみと世界平和への祈りが、今、明らかになる!

Story

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 1942年11月29日。迫り来る戦火から逃れ、キーロフ記念レニングラード国立オペラ・バレエ劇場は、モロトフ(現在のペルミ)に疎開していた。寒さと食糧不足に悩まされながら、団員たちは12月9日に初演を迎えるバレエ『ガイーヌ』のプレミアに向けて練習を続けている。しかし、作曲家のアラム・ハチャトゥリアン(アンバルツム・カバニャン)はいらだっていた。振付家のニーナ・アニシモワから連日のように変更が伝えられ、修正に追われていたのだ。弟子のゲオルギーの心配をよそに不眠不休で働くアラム。ソリストのサーシャは憧れの作曲家に名前を伏せて好物を差入れ、密かに応援している。

 文化省のプシュコフ(アレクサンドル・クズネツォフ)が上演前の検閲にやって来た。彼はサーシャに色目を送り、失業寸前のサックス奏者のアルカジーにアラムの動向を密告するよう命じる。劇場に不穏な空気を撒き散らすプシュコフには、ある目的があったのだ。

 重圧に押しつぶされたアラムは、入院騒ぎを起こしてしまう。そこへソビエトで活躍する気鋭の作曲家ショスタコーヴィチとオイストラフが、陣中見舞いに現れた。親友たちとの音楽談義に癒され、アラムは作曲家としての矜持を強くする。実はアラムとプシュコフは同じ師のもとで音楽を学んだ仲間だった。しかし、若き作曲家として頭角を現すアラムにプシュコフが暴言を吐き、絶縁したのだ。

 プレミアまで1週間。プシュコフは完成した『ガイーヌ』の結末を変更した上に、最終幕に士気高揚する踊りを追加せよと命じる。衣装も振付も間に合わない。誰もが不可能と訴えるが、アラムは作曲家人生を懸けて理不尽な挑発に立ち向かう。アラムの胸をよぎるのは、両親の祖国アルメニアでトルコが残虐行為を行った事実。世界がそれを黙殺したことがファシズムの誕生を許し、ユダヤ人虐殺が続く現実。アルメニア人の悲しみと怒りを忍ばせつつ、プシュコフを満足させられる音楽とは? アラムは深夜のホテルで、ひとり真っ白な楽譜に向き合う。耳に聞こえるのは汽車の音のみ。やがてその音は疾走する汽車と線路が奏でる激しいリズムに変わる。そして鍵盤の上でひとつのリズムが踊り始めた。

Interview

監督:ユスプ・ラジコフ

監督:ユスプ・ラジコフ

1957年6月5日ウズベキスタン タシケント生まれ。脚本家であり映画監督である彼の代表的な作品には、『TURKISH SADLE(英題)』 (2017年)、『 SHAME(英題)』(2013年) 、『ERKAK(原題)』(2005年)などがある。2002年、日本で開催されたウズベキスタン映画祭で来日し、『演説者』(99年)『女の楽園』(00年)が上映された。