10/10(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー!
その才能は謎の扉の奥に―。
彼女の作品が発表されていたら、20世紀の写真史は変わっていたかもしれない―。
そのミステリアスな生涯と、発見に至るまでを描いた奇跡のドキュメンタリー!
2007年、地元シカゴの歴史の本を執筆しているときに、その本に掲載する古いシカゴの街並みの写真を 探して、地元のガラクタや中古家具などを扱っているオークション・ハウスに出かけた。そこで、写真のネガでいっぱいの箱をひとつ競り落としたが、それらの写真が本に使われることはなかった。しかし、僕はそれをキープすることにした。「僕には見る目がある。時間があるときにゆっくり見よう」そう思ったのだ。2年後、そのとき買った写真が20世紀最高のストリート・フォトグラフの発掘の始まりとなったのだった。僕はこの素晴らしい写真を撮った人物を探す旅を記録して、映画にすることを決めた。
そのネガは、ヴィヴィアン・マイヤーという女性のものだった。僕は彼女の遺品と大量の奇妙な所有物を手に入れて、彼女のことをもっと詳しく調べ始めた。僕は、マイヤーがどういう人物なのかを解き明かしていく過程を映画にしたいと思ったのだ。彼女の残した証拠物件は僕を、彼女を知る人物から人物へ導いていった。しかし、さらなる事実を発見すればするほど、疑問が湧いてくるのだった。彼女は僕がやっていることをどう思うだろうか? なぜ彼女は自分の写真と私生活を、他人の目に触れないように したのか? 一体全体、どういう女性なのだろう?彼女がだんだん神話上の人物のように思えてきた。
すっかり取り憑かれた僕が集めたインタビューと、世界中に散らばった彼女にまつわる奇妙な物語のライブラリーができた。僕たちはおよそ100人程度の、ヴィヴィアン・マイヤーと接触のあった人々を見 つけ出した。映画の中では、彼らの好きなように話してもらった。僕はこの物語が正直で純粋なものであるとともに、ただのミステリアスなアーティストの物語ではなく、写真の歴史を変えた物語となるこ とを望んでいる。
しかし、人に作品を見せないということは、それを破壊しないということだ。マイヤーは作品を保存し、その運命は他人の手に委ねられた。まるでカフカが自身の作品を読まずに焼くように指示した時のように、マイヤー自身が指示したかどうかはともかくとして、彼女の作品を誰にも見せないという意思は無視された。
ドキュメンタリーのフィルムメーカーも、世の中に伝えたいことを選択している。マイヤーの残した作 品と膨大な数の遺留品の中を何年も行きつ戻りつした末に、乳母という仮面の下に生き、その作品発見 後に遅すぎた名声と認知を得た隠れた芸術家の物語を映画化することを、私たちは選択した。 マイヤーはまるでスパイのようだった。街の人々の暮らしを撮り、時には乳母として世話をしている子 供たちを連れて、そこに現れる人間模様をあるがままに記録していった。家畜小屋やスラムや郊外の、どこであろうと。
アーティストとしてのマイヤーはアウトサイダーだった。ゆえに被写体に進んだ世の中からはじき出されたような人々に共感することができた。しかし、その芸術を追い求めるひたむきさのために、高い代償も強いられた。 マイヤーは自分のことを、冗談めいてこう呼んだ―ミステリー・ウーマン。激しくプライバシーを守り同居している人々のブルジョワ的な価値観から独立することを強く主張した。しかし、本当は、密かに家族の絆に飢えていたのかもしれない。乳母としてすぐ近くで何十年も見てきた、そして自身の子供時代にはすでに失われてしまっていた絆に。
この映画では、マイヤー本人が他人に見せたくなかったかもしれない暗部を見ることになるだろう。すでに彼女について明かされてきたことよりも暗い部分だ。しかし、これはただの一遍の物語にすぎない。彼女の作品はすでに写真界の歴史の一部となり、まぎれもない宝物となっている。マイヤーの作品群の発見は、彼女の物語に結末を与えただけでなく、それなしには、物語もまたなかったのである。(順不同・敬称略)