ヴィヴィアン・マイヤーを探して

10/10(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー!

その才能は謎の扉の奥に―。

彼女の作品が発表されていたら、20世紀の写真史は変わっていたかもしれない―。 

そのミステリアスな生涯と、発見に至るまでを描いた奇跡のドキュメンタリー!

INTRODUCTION
DIRECTOR'S WORDS
REVIEW
COMMENT
INTRODUCTION

2007年、シカゴ在住の青年がオークションで大量の古い写真のネガを手に入れた。その一部をブログにアップしたところ、熱狂的な賛辞が次から次へと寄せられた。この発見を世界の主要メディアが絶賛!発売された写真集は全米売上No.1を記録、NY・パリ・ロンドンでいち早く展覧会が開かれるや人々が押し寄せた。撮影者の名はヴィヴィアン・マイヤー。すでに故人で、職業は元ナニー(乳母)。15万枚以上の作品を残しながら、生前1枚も公表することがなかった。ナニーをしていた女性がなぜこれほど優れた写真が撮れたのか?なぜ誰にも作品を見せなかったのか?監督は、この世紀の大発見の張本人であるジョン・マルーフ。アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞にもノミネートされた新たなアート・ドキュメンタリーの傑作がついに日本上陸!
DIRECTOR'S WORDS

フィルムメイカー、写真家、そして歴史研究家。ヴィヴィアン・マイヤーの作品のチーフ・キュレータ ーでもある。マルーフ・コレクションを通じて、マイヤーの作品を保存しながら、一般公開をしてい る。シカゴのウエスト・サイドで育ち、フリーマーケットや貸し倉庫などでの売買経験がマイヤーの写真発掘につながる。マイヤーの作品を紹介した本”Vivian Maier:Street Photographer”や、近々に出版さ れるセルフ・ポートレイト集の著者でもある。

最低賃金ギリギリで働いていた母親一人に育てられた僕は、子供の頃からかなりのやりくり上手だった。打ち捨てられたガラクタを見つけては、フリーマーケットで売ることもお手の物だった。いつも何か欲しいものがあれば、欲しいという衝動とともに、それをどうやって手に入れるか考えていた。

2007年、地元シカゴの歴史の本を執筆しているときに、その本に掲載する古いシカゴの街並みの写真を 探して、地元のガラクタや中古家具などを扱っているオークション・ハウスに出かけた。そこで、写真のネガでいっぱいの箱をひとつ競り落としたが、それらの写真が本に使われることはなかった。しかし、僕はそれをキープすることにした。「僕には見る目がある。時間があるときにゆっくり見よう」そう思ったのだ。2年後、そのとき買った写真が20世紀最高のストリート・フォトグラフの発掘の始まりとなったのだった。僕はこの素晴らしい写真を撮った人物を探す旅を記録して、映画にすることを決めた。

そのネガは、ヴィヴィアン・マイヤーという女性のものだった。僕は彼女の遺品と大量の奇妙な所有物を手に入れて、彼女のことをもっと詳しく調べ始めた。僕は、マイヤーがどういう人物なのかを解き明かしていく過程を映画にしたいと思ったのだ。彼女の残した証拠物件は僕を、彼女を知る人物から人物へ導いていった。しかし、さらなる事実を発見すればするほど、疑問が湧いてくるのだった。彼女は僕がやっていることをどう思うだろうか? なぜ彼女は自分の写真と私生活を、他人の目に触れないように したのか? 一体全体、どういう女性なのだろう?彼女がだんだん神話上の人物のように思えてきた。

すっかり取り憑かれた僕が集めたインタビューと、世界中に散らばった彼女にまつわる奇妙な物語のライブラリーができた。僕たちはおよそ100人程度の、ヴィヴィアン・マイヤーと接触のあった人々を見 つけ出した。映画の中では、彼らの好きなように話してもらった。僕はこの物語が正直で純粋なものであるとともに、ただのミステリアスなアーティストの物語ではなく、写真の歴史を変えた物語となるこ とを望んでいる。


エミー賞ノミネート経験のある映画・テレビプロデューサー、脚本家、監督。プロデュース作品にはアカデミー賞を受賞した、マイケル・ムーア監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン」(02)などがある。テレビ番組では、コメディ・セントラルの”Tosh.O”などの製作総指揮をしている。この15年、ドキ ュメンタリーとコメディの世界で働いていて、時にはその二つを組み合わせた仕事をしている。ヴィヴィアンが乳母をしていたノース・ショア(シカゴのミシガン湖畔の富裕層が住むエリア)郊外で生まれ育つ。元弁護士。ロサンゼルス在住。

私たちは、自分について世の中に知ってもらいたいことを、自ら選択している。それでも結局、いつの 日かすべてをさらけ出さずにはいられない。ヴィヴィアン・マイヤーに選択肢があったなら、我々は彼 女の人生や写真を知ることはなかっただろう。少なくとも生きている間は、自分の作品を隠し通すことを選択したのだか ら。

しかし、人に作品を見せないということは、それを破壊しないということだ。マイヤーは作品を保存し、その運命は他人の手に委ねられた。まるでカフカが自身の作品を読まずに焼くように指示した時のように、マイヤー自身が指示したかどうかはともかくとして、彼女の作品を誰にも見せないという意思は無視された。

ドキュメンタリーのフィルムメーカーも、世の中に伝えたいことを選択している。マイヤーの残した作 品と膨大な数の遺留品の中を何年も行きつ戻りつした末に、乳母という仮面の下に生き、その作品発見 後に遅すぎた名声と認知を得た隠れた芸術家の物語を映画化することを、私たちは選択した。 マイヤーはまるでスパイのようだった。街の人々の暮らしを撮り、時には乳母として世話をしている子 供たちを連れて、そこに現れる人間模様をあるがままに記録していった。家畜小屋やスラムや郊外の、どこであろうと。

アーティストとしてのマイヤーはアウトサイダーだった。ゆえに被写体に進んだ世の中からはじき出されたような人々に共感することができた。しかし、その芸術を追い求めるひたむきさのために、高い代償も強いられた。 マイヤーは自分のことを、冗談めいてこう呼んだ―ミステリー・ウーマン。激しくプライバシーを守り同居している人々のブルジョワ的な価値観から独立することを強く主張した。しかし、本当は、密かに家族の絆に飢えていたのかもしれない。乳母としてすぐ近くで何十年も見てきた、そして自身の子供時代にはすでに失われてしまっていた絆に。

この映画では、マイヤー本人が他人に見せたくなかったかもしれない暗部を見ることになるだろう。すでに彼女について明かされてきたことよりも暗い部分だ。しかし、これはただの一遍の物語にすぎない。彼女の作品はすでに写真界の歴史の一部となり、まぎれもない宝物となっている。マイヤーの作品群の発見は、彼女の物語に結末を与えただけでなく、それなしには、物語もまたなかったのである。
REVIEW
COMMENT
1950~60年代を代表する写真家といえばロバート・フランクとダイアン・アーバスだが、ヴィヴィアン・マイヤーの才能は彼らに匹敵する。あらゆる写真家が目標とし、嫉妬するほどの実力の持ち主だ。野心家であり、努力家であり、チャレンジ精神の塊だったが、あらゆるものを公平に見ようとする無私の眼差しを備えていた。彼女自身もそのことを充分にわかっていたはずなのに、なぜ生前に自作を発表しなかったのか。謎としかいいようがない。まさに20世紀の写真史を書き換える”発見”といってよいだろう。 
飯沢耕太郎(写真評論家)
「オークションにより発見」された「謎の写真家」の情報は調べても出てこず、やっと手がかりを見つけた時には「直前に亡くなっていた」という人物像に迫るこの映画は、写真というものの価値をよく表している。「写真」は常になんらかの「物語」を孕み、それを読み取られることで受容されていく。ヴィヴィアンさんの残した謎に思いを馳せることこそ、この写真家の価値なのではないだろうか。そして映画が進むにつれ、その謎は少しずつ解き明かされていく。映画が終わりいくつかの答えを知った後、観客はその写真の見え方が少し変化していることに気づくのである。
高橋宗正(写真家)
アメリカは広い、そして深い孤独を抱えている。埋もれた写真家奇跡の復活劇かと思っていたら、この国にぽっかり空いた底なしの穴を覗き込むような優れたドキュメンタリー映画だった。
鷹野隆大(写真家)
ヴィヴィアンの情熱は、対象とひとつになる快感を求めてストリートをハンティングすることにのみ費やされた。ファインダーを覗いたとたんに喧噪は遠のき、「見る人」になれる。そのときの充足した孤独ほど、素晴らしいものはなかったにちがいない。 
大竹昭子(作家)
もし、だったら、という事は無いと言われている。全て必然という事か、ヴィヴィアン の場合、並々ならぬ彼女の才能と写真の力が爆発するように地下から噴出したようだ、本人が望む、望まざるに関わらず。そして、起爆剤 になった人の縁と拡がっていくつながり、これを奇跡というのだろう。
広川泰士(写真家)
ヴィヴィアン・マイヤーという「女版ウィリアム・エグルストン」の発見は、写真界にとっては価値ある恐竜の化石の発掘と同じだ!! Walla!! アート、写真、ミステリー好きにはマストな映画!!
ルーカスB.B.(PAPERSKY編集長)
アジェもラルティーグも。写真の歴史は常に「発見」に彩られている。しかし、ヴィヴィアン・マイヤーほど奇跡的で感動的な発見のされ方はなかった。今はただただ彼女の撮った写真が見たい。
鈴木芳雄(美術ジャーナリスト)
世の中には、隠され、忘れられて、放置されている、もの スゴく良い写真がイッパイあるんです。 そしてそれらの写真は発見されるのを待っています。あたなの周りにもヴィヴィアン・マイヤーはいるかもしれません。
ホンマタカシ(写真家)
まるで恐竜のような巨人的写真家だーーー 写真を撮ることで癒される人たちは世の中にたくさんいる。しかし彼女のように才能ある人は稀だ。しかしもっと奇跡的なのは僕たちがその膨大な量の素晴らしい写真や動画、そしてヴィヴィアンに直接関わった人たちの話までもがまとめて見られることだ。撮影者、発見者、そして思い出を語る者たち。今でもアメリカは滑稽で、魅力ある国だと思った。 ()
若木信吾(写真家)
マイヤーは写真を公開したかったかなんて愚問。他人の心に触れる方法も、その瞬間をカメラが記録できることもなぜか知ってて、世界と繋がろうとしてたんだから。同じくシカゴで発見されたダーガーとはそこが異なる。
保坂健二朗(東京国立近代美術館主任研究員)
ストリート・フォトグラファーというのは対する人との心の距離感が一種独特な立場にある。被写体の本質や、背負った人生の哀歌を一瞬でつかみ得るほど近しい距離にいたかと思えば、その実、その人の名前すら知らなかったりする。稀いなる才能に恵まれたストリート・フォトグラファーの彼女は幸せだったのか、果たしてそうではなかったのか。答えはこのドキュメントの中にある。
シトウレイ(ストリート・フォトグラファー)
撮り続けることでしか世界と繋がれなかった、そんな彼女の孤独に寄り添えたのはカメラだけだったのだろう。 作品を発表することでなにかが変わることが怖かったのかもしれないが、それはもういまとなってはわかりようのないことだ。 死後発表された膨大な数の写真だけが、静かに彼女の怒り、孤独、生への執着を物語っている。
川内倫子(写真家)
彼女の佇まい、態度、生き様、そして写真からは、人間の業(ルビ:ごう)の肯定と、生への欲望が滲み出ている!!!!!!!!
宇川直宏(”現在”美術家 / DOMMUNE)
これほど観る人の心を揺さぶる写真を生涯発表しようとしなかった無名のヴィヴィアン・マイヤー。この謎の人物に迫るドキュメンタリーは必見です。
ピーター・バラカン
アメリカがもっとも自信にあふれていたはずの時代に、眩しさの裏側に張りついていた影。それをヴィヴィアン・マイヤーは本能的に肌で感じとっていて、その距離感のようなものが、見るもののこころをざわつかせるのだろう。
都築響一(写真家、編集者)
大きな謎を残しながら、それでも観る人が感動を覚えるのは、やはりこの作品がミステリーではなくドキュメンタリーだからだ。 もっと言ってしまえば、これがヴィヴィアン・マイヤーを巡るドキュメンタリーであると同時に、 視点を変えればジョン・マルーフの個人的なドキュメンタリーでもあるからだろう。
門間雄介(編集者/ライター)
乳母という身分とひきかえに写真を撮る自由を手に入れ、孤独とひきかえに卓越した洞察力を手にしたヴィヴィアン・マイヤー。彼女の才能の源泉は、病的なまでの蒐集癖にあったと思う。新聞記事やガラクタを集めたのと同じように、街を、道行く人を、路上で起きるドラマをひたすらカメラで蒐集することに没頭した生涯。撮ることに執着しながらも、一度も現像されることのなかった膨大なフィルム群がその情熱のいびつさを物語っている。偶然の発見によって、素晴らしい才能の恩恵にあずかれた幸運に感謝します。
太田陸子(「IMA」エディトリアルディレクター)
ファウンド・フォトとして発掘されたヴィヴィアン・マイヤー。 ゴミ同然と思われていたネガは、発掘者の審美眼と行動力によって人々を感動させるアートへと昇華した。 世界中の人が様々な時代の中で撮影した写真には、まだ見ぬ秘められた可能性が眠っているかもしれない。 これからはただの「写真」と侮ってはいけない。
番場文章(代官山 蔦屋書店 写真・アートコンシェルジュ)
未知の「写真家」が発見される興奮と、発見された「写真家」に見え隠れする狂気。女性としての哀しみこそが、彼女を突き抜けた「写真家」にしているのではないでしょうか。
森岡督行(森岡書店)
写真が素晴らしいのはもちろんだが、その遺留品、証言から浮き彫りにされてくる彼女自身の素顔がミステリアスにして魅力的!それと同時にマイヤーを発見しただけでなく、世に知らしめた監督のセンスと執念も大発見!
長谷川朗(ヴィレッジヴァンガード下北沢 次長)
才能と孤独と新聞の山に埋もれたひとりの女性が、ひとりの酔狂な青年の執念によって発見され写真史に名を刻む(?)までの、奇跡のドキュメンタリー。カメラとテレコが相棒だった記録魔の変人を、「有名人になりたくなかったアンディ・ウォーホル」と呼ぶのはどちらかに失礼だろうか?いまも世界中にInstagramでシェアされない膨大な名作が、蚤の市からiPhoneの中まであらゆる場所に眠っているのだと想像して、勝手にワクワクした。ああ、天才を見つけたい!
内沼晋太郎(本屋B&B/ブック・コーディネーター/クリエイティブ・ディレクター)
人は誰もがいくつもの顔を持って生きている。ヴィヴィアン・マイヤー、彼女のことを知りたければ、彼女が生涯を捧げた膨大な量の作品を、見ること。天才?奇人?写真家?乳母?肩書は最早どうでもよく、ただ単純に、彼女が撮った写真は素晴らしい。
永井雅也(IMA CONCEPT STORE)
語りえぬものについてヴィヴィアンは写真で向き合っていた。 彼女にとってシャッターを押す行為は、世界を発見し、意味を与える行為だったのだろう。 偉大な仕事を成しえる人たちは、職種に関係なく世界の奥深くにある同じ場所を見つめている。 ヴィヴィアンも、その世界に達することができた、偉大な写真家であるのは間違いない。
中島祐介(アートブックショップ[POST]ディレクター)

(順不同・敬称略)