─── 今回は兄弟が主人公ですね。
二人の兄弟というアイデアに魅了されました。なぜなら家族の絆はとても強い依存関係を作り出すからです。彼らは優しい二人の青年ですが、とてつもない頼みごとを持ちかける叔父に完全に依存しているので、当然そこに悲劇が繰り広げられるわけです。
─── ロシア的な世界観に影響を受けているのでしょうか?
ドストエフスキー、チェーホフ、彼らは私の人生とともにある魅力的な作家たちです。彼らが存在について取り組む方法がとても好きなのです。人生とは愚かな悲劇なのでしょうか?私たちは常に罪悪感をとともに生きていく運命なのでしょうか? 神は私たちを見捨てたのでしょうか? どうしたら過ちを犯さないで天国に行けるのでしょうか? 私はヴェニスで泊まっているホテルを出た途端、道に迷います。水しかないにもかかわらず...。
─── 今回も罪悪感について探求していますね。
とても興味のあるテーマなのです。殺人は道徳的な面と強迫観念的な側面においてこのテーマを発展させ、掘り下げます。同じ過去を持ち、同じ教育を受けているにもかかわらず、二人の兄弟の反応はまるで違います。一人は自分がはまった危険しか見ず、もう一人は良心の呵責に取り憑かれます。良心の呵責の念を誇示するのは簡単なことですし、その上、とても滑稽なことのように描くことも出来ます。もしこれが別の時代で私自身が演じるなら、この作品は喜劇となったことでしょう。
─── あなたにとって喜劇/悲劇とはなんでしょうか?
私が最初に愛したもの、それは悲劇です。イングマール・ベルイマン、テネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラーが好きでした。喜劇のことは考えてもいませんでした。しかし映画は、建築のように、とてもお金のかかる芸術です。人を笑わせることができると気づいた時、この道に駆り立てられました。皆が私に「退屈にさせないでくれ!」と言ったのです。しかし実際には、自分の作品が根本的に変わったとは思っていません。私のコメディには多くの悲哀が見受けられると言う人もいます。毎年、私は1本の作品を作りますが、それは喜劇かもしれないし殺人の悲劇かもしれません。私はひたすら滑稽なわけではなく、完全に悲劇的なわけでもなく、ただ単に現実的なのだと思います。
─── そして現実は...
不条理です。"表面的には楽しい瞬間のある本質的な悲劇"なのです。チャンスに恵まれている人もいれば、そうでない人もいる。彼らは違う列車に乗って旅をしますが、行き先は同じです。歳を取り、病気になり、そして死ぬ。全て無に至るのです。ベルイマンは亡くなり、これで終わりなのです。
─── もうNYではなく、ヨーロッパで撮影しています。違いはありますか?
そんなには。パリ、ロンドン、バルセロナで撮影しましたが、都会の生活はほとんど同じです。レストランがあって、美術館があって、劇場があって、渋滞があって...ただ、街を発見すること、最後の最後に脚本を変更することは楽しいです。到着し、場所をロケハンし、そこから受けたインスピレーションで変更を加えていく。私を魅了するものに。これが私の観光の仕方なのです。