1940年11月20日にエムデン生まれ。ヨハネス・ブラームスの叔父から連なるブラームス家の末裔に当たる。大学入学資格を取得し、ハノーファーにあるニーダーザクセン音楽演劇大学で2年間学ぶ。1962年から1965年まではケルン大学にて演劇学、英語英文、独語独文を学び、試験を受けて卒業している。1965年から1973年までWDR局(西ドイツ放送局)でラジオやテレビのアナウンサーとして働き、様々な写真家と出会う。その中にはチャールズ・ヴィルプやシャルロッテ・マルヒがいる。その後ローマでセルジオ・コルブッチ監督や ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の下で聴講生となり、1967年に終了する。1968年からWDR局のローカル番組で初めて自分の担当を持つ。その中で唯一現存するのは1969年に行った、ウルリーケ・マインホフへのプライベート・インタビューである。映画作品では『ドイツ・青ざめた母』(80)が各国の映画祭で観客賞を受賞、パリで72週間、ロンドンで16週間、東京で18週間と世界中で大成功を収めている。その他、『エミリーの未来』(84)、『林檎の木』(92)など。