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劇場情報
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ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン メインビジュアル
エッフェル塔
モデル
ショウ
カラフルモデルズ
スナップ
ピエール・カルダン
ライフ
イズ
カラフル
知るほどに、もっと彼を好きになる 未来をデザインする男 ピエール・カルダン 激動の時間を駆け抜けたファッション革命児 チャーミングでスキャンダラスな愛すべき人生!
ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン メインビジュアル
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知るほどに、もっと彼を好きになる 未来をデザインする男 ピエール・カルダン 激動の時間を駆け抜けたファッション革命児 チャーミングでスキャンダラスな愛すべき人生!
  • 豪華景品が当たるプレゼントキャンペーン!
  • 絶賛コメント到着
10月2日(金)より Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開
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10月2日(金)より Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開
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初めてずくめのパイオニア!偉業トップ5

1.高級サロンからデパートへ!大衆向けに「既製服(プレタポルテ)」を発売し、ファッションを民主化
futa
2.世界初!メンズコレクションを開拓。ビートルズも襟なしジャケットを愛用
futa
3.国籍も肌の色も関係ナシ。白人モデルが主流の時代に日本人や黒人モデルを起用
futa
4.ライセンス契約を導入。飛行機からタオルまで約800点をデザイン
futa
5.社会主義国の中国やソ連で初めてファッションショーを敢行
futa
1.高級サロンからデパートへ!大衆向けに「既製服(プレタポルテ)」を発売し、ファッションを民主化
futa
2.世界初!メンズコレクションを開拓。ビートルズも襟なしジャケットを愛用
futa
3.国籍も肌の色も関係ナシ。白人モデルが主流の時代に日本人や黒人モデルを起用
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4.ライセンス契約を導入。飛行機からタオルまで約800点をデザイン
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5.社会主義国の中国やソ連で初めてファッションショーを敢行
futa
House of Cardin
House of Cardin

Introduction

BG
line
line

Introduction BG
激動の時代を駆け抜けた革命児 チャーミング&スキャンダラスな愛すべき人生
激動の時代を駆け抜けた革命児 チャーミング&スキャンダラスな愛すべき人生

天才デザイナーのカラフルな人生に初密着!

帝国を築いた伝説のファッションブランド「ピエール・カルダン 」。未来的なコスモコール・ルックで若者を熱狂させたモード界のパイオニアに初密着!98歳の今も現役で活躍するレジェンドが語るのは、ファシズムが台頭する祖国イタリアからフランスへ逃れた記憶に始まり、先鋭的すぎてファッション界から敬遠された苦悩と反撃、ジャンヌ・モローとの運命的な恋、芸術に情熱を注いだ劇場運営、門前払いされた高級レストラン「マキシム・ド・パリ」のリベンジ買収など、波乱万丈でカラフルな人生だ。
ファッション後進国だった日本や人民服を着ていた中国に先陣を切って乗り込み、“装う”楽しさを世界中に伝えたカルダン。秘蔵映像や豪華なゲストたちの証言から浮かび上がるのは、スキャンダラスな天才デザイナーのチャーミングな素顔と輝かしいレガシー。
楽しく生きたい全てに人に贈るドキュメンタリー!

Introduction foot image

Trailer

  

Chronology

1922
イタリアのヴェニス近郊に生まれる
1924
ファシズムが台頭する祖国イタリアから逃れ、一家でフランスへ移住
1945
パリに移りマダム・パカンのアトリエに入り、ジャン・コクトーの映画『美女と野獣』の衣装や仮面を担当。後にエルザ・スキャパレリのメゾンに勤務
1946
コレクション・デビュー時のクリスチャン・ディオールのアトリエで働く
1953
初のオートクチュール・コレクションを発表。ダイアナ・ヴリーランド、Harper’s Bazaar編集長、ELLE創刊者らに実力を認められる。
1958



1959
1960
1963
1966
子供服を発表。三つ子を起用したショーを開催
1970
1975
自動車「ピエール・カルダン スバッロ」のデザインを発表
TBSドラマ「赤い疑惑」の衣裳に全面協力
1976

芸術家具「エヴォリューション」を発表

1977
フランス・オートクチュール組合より「金の指貫き賞」(デ・ドール賞)を受賞。その後79年、82年と同賞を合計3回受賞する
1979
1981
1983
フランス政府から国家栄誉賞「シュヴァリエ・ド・ラ・レジオン ドヌール」を贈られる。91年に「ロフィシエ・ド・ラ・レジオン ドヌール」を、97年には「コマンドール・ド・ラ・レジオン ドヌール」勲章を受勲
1991
モスクワ「赤の広場」にて史上初のファッションショーを開催。ユネスコの名誉大使に選出され、チェルノブイリ救済プログラムに関わる
1992
ファッションデザイナーとして初めて、フランス学士院芸術アカデミー会員に選出される


1993
南仏カンヌ近郊に円形劇場「パレ・ビュル」(泡の城)をオープン
2001
マルキ・ド・サド侯爵ゆかりの南仏ラコスト城のオーナーとなり野外劇場を設営
2014
パリにカルダン美術館をオープン
2019
ヴェネチア国際映画祭にて本作のワールドプレミア上映
エッフェル塔
モノクロモデルズ
カラーモデルズ
Car
家具
金の指貫き
フランス学士院芸術アカデミー会員
赤いモデル
カルダン美術館

監督1
監督2

監督1
監督2
監督1
監督2
P.デビッド・エバーソール&トッド・ヒューズ
プライベートでもカップルであるふたりは、映画やTV番組の制作会社「ザ・エバーソール・ヒューズ・カンパニー」を設立している。本作の他に50年代を代表する女優ジェーン・マンスフィールドの死後50年を記念して製作された「MANSFIELD 66/67」(18)などをふたりで監督。ニルヴァーナのカート・コバーンの妻コートニー・ラブが所属しているグランジ・バンド「ホール」のパッティー・シュメルについてのドキュメンタリー「HIT SO HARD 」(12)では、エバーソールが監督・脚本、ヒューズがプロデュースと脚本を担当している。また日本でも公開されたスタンリー・キューブリック監督作品『シャイニング』を検証するドキュメンタリー『ルーム237』(12)では、ふたりはエグゼクティブプロデューサーを務めた。監督、プロデューサー、脚本家として活躍中。
コメント
数年前に僕たちは家の装飾を始めたとき、ピエール・カルダンが美しくて洗練された現代家具のメーカーでもあることを大発見しました。また彼の素晴らしい家具を集めているうちに、家具だけにとどまらず新しいライフスタイルの世界をそこに見つけたのです。本作の製作は僕たちにとって生涯最高の冒険になりました。僕たちはカルダンの足跡をたどって、世界中を旅して回りました。そして、その国々で彼が多様な文化の人々を、ファッションのラインと裁断のスタイルで結びつけてきた先駆者であったということに気づきました。カルダンから、本作を初めて観たあとに「すべて真実だ!」と、映画を認めるメッセージをいただき、アカデミー賞を受賞するよりも嬉しかったです!
数年前に僕たちは家の装飾を始めたとき、ピエール・カルダンが美しくて洗練された現代家具のメーカーでもあることを大発見しました。また彼の素晴らしい家具を集めているうちに、家具だけにとどまらず新しいライフスタイルの世界をそこに見つけたのです。本作の製作は僕たちにとって生涯最高の冒険になりました。
P.デビッド・エバーソール&トッド・ヒューズ
僕たちはカルダンの足跡をたどって、世界中を旅して回りました。そして、その国々で彼が多様な文化の人々を、ファッションのラインと裁断のスタイルで結びつけてきた先駆者であったということに気づきました。カルダンから、本作を初めて観たあとに「すべて真実だ!」と、映画を認めるメッセージをいただき、アカデミー賞を受賞するよりも嬉しかったです!

Witnesses

ジャン=ポール・ゴルチエ
ジャン=ポール・ゴルチエ
1952年生まれ。学生だったゴルチエのスケッチ画を見たカルダンが、その才能を見抜きデザインチームに採用する。76年にプレタポルテ・コレクションを発表しデビュー。80年代マドンナのステージ衣装を手がけ、ボンデージファッションなどで話題となり広く知られる。04年秋冬からエルメスのレディース・プレタポルテのデザインも兼任した。20年春夏のオートクチュール・コレクションを最後にランウェイからの引退を表明。彼の新プロジェクトとして、20年秋冬コレクションにsacaiの阿部千登勢をゲストデザイナーとして迎え入れ、オートクチュール・コレクションを発表する。
ジャン=ポール・ゴルチエ吹き出しSP
最も取材時間を確保するのが難しい人物でした。
それは彼の多忙なスケジュールもさることながら、
過密スケジュールの合間にねじ込むのではなく、
たっぷり2時間かけたインタビューにしたいと
彼が配慮してくれたためでした。
シャロン・ストーン
シャロン・ストーン
1958生まれ。モデルとして活躍後、80年にウディ・アレン監督『スターダスト・メモリー』にて映画デビュー。85年に『ロマンシング・アドベンチャー/キング・ソロモンの秘宝』に出演して注目され、『トータル・リコール』(90年)、『氷の微笑』(92年)でトップ・スターとなる。95年の『カジノ』ではゴールデングローブ賞最優秀女優賞を獲得。『マイ・フレンド・メモリー』(99年)『ハリウッド・ミューズ』(00年)でもゴールデン・グローブ賞にノミネートされている。
シャロン・ストーン吹き出しSP
ジャンヌ・モローの友人であった彼女なら、
モローとカルダンの関係について話してくれる
だろうと思い、インタビューをオファーしました。
しかし、それとは全く別に、彼女がまだ駆け出しの
モデルだった頃にカルダンと出会っていたと
いうことが明かされ、驚きました。
彼女はパリのカルダン美術館から空輸された
ビンテージを着てインタビューを受けてくれました。
ナオミ・キャンベル
ナオミ・キャンベル
1970年生まれ。15歳のときにスカウトされモデルとしてのキャリアをスタートさせる。88年8月、黒人モデルとして初めて仏版「VOUGE」の表紙を飾るなど、黒人モデルの先駆者的存在として知られる。90年代には「スーパーモデル」として「VOUGE」や「ELLE」などの一流ファッション誌の表紙を飾り、数々のファッションショーに登場した。ファッション界に強い影響力を持ち、いまなお活躍中。
ナオミ・キャンベル吹き出しSP
彼女に連絡を取ると、すぐに快諾してもらえ、
最初にインタビューが実現しました。
そして、彼女が69年のカルダンのドレスを着て
カメラの前に立ったとき、
みんなが魅了されました。
  • 森英恵
    1926年生まれ。51年スタジオを設立し、日本映画全盛期に数多くの衣裳デザインを担当する。65年ニューヨークで初の海外コレクションを発表。77年パリにメゾンをオープンし、オートクチュール組合に属する唯一の東洋人として、国際的な活動を展開する。現在は、衣裳展の開催や若手の育成など、「手で創る」をテーマに活動中。58年にカルダンが初来日したときに、後に彼のミューズとなるモデル松本弘子を紹介した。
  • 高田賢三
    1939年生まれ。文化服装学院で服飾デザインを学び、その後64年に渡仏。70年、パリにブティックを開き初コレクションを発表する。73年には「KENZO」の名でプレタポルテ・コレクションのデビューを果たす。93年、ブランドをLVMHに売却し、自身はデザイナーとしてクリエーション活動を継続。99年に KENZO のデザイナーを引退する。04年にはアテネオリンピック日本選手団公式服装をデザインした。
  • 桂由美
    大学卒業後、パリに留学しブライダルデザイナーになることを決意。65年には日本初のブライダル専門店をオープン。69年、全日本ブライダル協会を設立、99年に東洋人として初めてイタリアファッション協会の正会員となる。03年パリでオートクチュール・コレクションを発表し、05年にパリ店をオープンさせた。日本のブライダルファッション界の第一人者として業界を牽引しつつ、世界各国30ヵ所以上の都市でショーを開催した。
  • グオ・ペイ
    1967年生まれ、中国出身。89年にアパレル会社で働き始め、97年には自身の「ローズ・スタジオ」を設立する。15年にニューヨークで開催されたメットガラに、彼女のデザインした鮮やかな黄色のケープガウンをまとったリアーナが登場し、一夜にしてその名を世界中に轟かせた。16年にパリでオートクチュール・コレクションを発表。
  • アリス・クーパー
    1948年生まれ。前衛的なパフォーマンス知られるロック・ミュージシャン。69年にデビューし、70年代シアトリカルな奇抜さが話題となりカリスマ的な人気を集める。72年『スクールズ・アウト』が大ヒットを記録し、一躍有名となる。11年にはロックの殿堂入りを果たした。
  • フィリップ・スタルク
    1949年生まれ。68年にカルダンのメゾンに入社し、アートディレクターを務めインテリアデザイン及びプロダクトデザインを担当する。退社後、80年にアメリカで、スタルク・プロダクト社を設立。フランスのフランソワ・ミッテラン大統領からの指名で、大統領公邸やエリゼ宮の内装を担当し注目を集める。建築家としても活躍し、日用品から建築まであらゆる分野のデザインを精力的に行う。日本ではアサヒビール吾妻橋ホールなどの設計でも知られる。