トム・ハーディ×トム・ハーディ
2016.6.18(土)YEBISU GARDEN CINEMA、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー!
1933年、イースト・エンドの貧しい家庭に一卵性双生児として生まれたレジーとロンは、恐喝、強盗、暴行などの犯罪を生業にして頭角を現し、ギャングのリーダーにのし上がった。1960年代にはロンドン全域を支配下に収め、ナイトクラブやカジノの経営で荒稼ぎした兄弟は、向かうところ敵なしの栄華を極めていく。
本作はまさしく真のギャングスターとして、スウィンギン・ロンドンの時代のダークサイドを駆け抜けたクレイ兄弟の栄光と凋落の軌跡をスタイリッシュに映画化。あまりにも型破りで危険な双子ギャングの実像とその幾多の伝説が、圧倒的な驚きとスリルを呼び起こす―。
腕っぷしの強さとビジネスの才覚を兼ね備え、カリスマ性にあふれた兄レジーと、同性愛者であることをカミングアウトし、ひとたびキレると手がつけられなくなる暴れ者の弟ロンは、性格からして何もかも対照的。なおかつ面構えも体型も異なるこの兄弟を、ハーディはカメラの前で変幻自在にスイッチを切り替えるようにして演じ分け、スタッフや共演者を驚嘆させたという。また同一ショット内の兄弟のやりとりを映像化するため、さまざまな技術を駆使した本作は、“トム・ハーディVS.トム・ハーディ”のまさかの肉弾戦シーンも実現。クラシックな高級スーツを身にまとい、双子兄弟の切っても切れない絆をもエモーショナルに伝えるハーディの演技は、英国インディペンデント映画賞の男優賞など3つの賞に輝き、ファンには一瞬たりとも目の離せない快作となった。
そして『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』のエミリー・ブラウニング、『キングスマン』のタロン・エガートンといった若手注目株と、デヴィッド・シューリス、クリストファー・エクルストンらのイギリスの実力派俳優がハーディの脇を固め、ひと癖もふた癖もあるキャラクターを好演している。
そんな時レジーは部下の妹フランシスと出会い、恋に落ちる。フランシスのために悪事と手を切ると約束したレジーはナイトクラブの経営に注力するようになるが、それを快く思わないロンは破滅的な行動を連発。組織内に不協和音が生まれ、さらに警察の執拗な捜査が迫り、兄弟の絆と栄華は脅かされようとしていた―。
柳下毅一郎(殺人研究家)
チンピラとギャングを分かつのは伝説だ。クレイ兄弟はそのことを最初から知っていた。クレイ兄弟はマフィアにあこがれ、マフィアになろうとした。だからクレイ兄弟はイギリス最大のギャングと呼ばれるようになったのである。彼らのなしたことよりも、その作りあげた伝説ははるかに大きい。十代のころから、ロナルド・クレイはマフィアになりたかった。新聞から事件記事をスクラップしていたロナルド・クレイのあこがれは禁酒法時代のアメリカのギャングだった。ロナルドはアル・カポネになりたかったのだ。恐れられ、尊敬されるタフガイ。彼は何より、人々から畏敬のまなざしを向けられたいと願っていた。
クレイ兄弟にとって、ギャングであるというのは力を見せびらかすことだった。有名人との交流を誇示し、警察を嘲笑したのだ。そもそもマフィアにとって、暴力は隠してこそ意味がある。伝家の宝刀は抜いてはならないのであり、暴力をふるえばすぐに警察が飛んでくる。だが、クレイ兄弟は進んで人前で暴力をふるった。他人に見せてなければ伝説にはならない。だからロナルドは積極的に暴力をふるった。より理性的だったレジナルドの商売を邪魔してまでも、ロナルドは無駄な出入りを渇望した。それをロナルドの精神異常のあらわれだとする人もいる。だが実利ではなく誇大妄想に生きたクレイ兄弟にとって、暴力の誇示は必然だった。
伝説のクライマックスは1966年3月9日に起きたロナルドによるジョージ・コーネル射殺事件である。かねてよりサウス・ロンドンを根拠地とするリチャードソン一味とクレイ兄弟は縄張りをめぐって争っていた。前日、リチャードソン一味は別の出入りで、ギャングを一人殺していた。これはクレイ兄弟とはまったく無関係なできごとだ。この事件のせいで、リチャードソン一味のおもだったメンバーは警察に逮捕され、ギャングは壊滅状態に陥った。クレイ兄弟は闘わずして易々と勝利をおさめたのである。
だが、それではロナルドのエゴは満たされなかった。ロナルドは力を見せずにはいられなかったのだ。リチャードソンの子分コーネルから「デブ男」と陰口をたたかれたことを忘れなかったロナルドは、わざわざコーネルの居場所を調べあげ、パブに乗り込み、衆人環視のもとでコーネルを射殺した。目撃者は誰一人証言台に立とうとしなかったので、ロナルドは罪に問われなかった。ロナルドがコーネルを射殺したパブ〈ブラインド・ベガー〉は観光スポットとなり、射殺場所には印がつけられている。
それはまったく無意味な殺しだった。そもそもロナルドがコーネルを襲撃した時点で、リチャードソン一味は壊滅している。どうしてもコーネルを始末したいのなら、喜んで実行する手下はいくらもいたはずだ。だが、ロナルドは自分の手で殺しを実行せずにはいられなかった。あまりにも愚かしい。だが、それこそがクレイ兄弟の伝説である。
クレイ兄弟の全盛期はそう長いものではない。1968年に逮捕されるまで、およそ四、五年というところだろうか。イギリスの暗黒街を支配したマフィアと呼べるほどではないのである。彼らの伝説はもっぱらメディアに登場すること、そして警察に挑戦することで築かれた。
若くハンサムで暴力の雰囲気をまとっているクレイ兄弟はメディアの寵児でもあった。たびたびテレビでインタビューされ、デイヴィッド・ベイリーに写真を撮られた。メディアに出ることで、彼らの虚像はさらにふくらんだ。それは虚像なのだが、クレイ兄弟にとってはもっとも大事なものであった。クレイ兄弟は警察にも堂々と挑戦した。ほとんど挑発していたとも言える。兄弟は二人を追っていた刑事ニッパー・リードを敵視し、トリックにかけて一緒に談笑しているかに見える写真を撮影した。ロナルドはペットのニシキヘビに「ニッパー・リード」という名前をつけた。結果としてはそれは愚かな行為だった。リードは侮辱に甘んじることなく、最終的にはクレイ兄弟を逮捕することになるからだ。だが、クレイ兄弟にとってはイメージこそが重要だったのであり、そんな損得勘定はもとより存在しなかった。
ロナルドとレジナルド、双子のいずれが主導権を持っていたのかはさだかではない。冷静で商売の才覚もあったレジナルドが、暴力的で衝動的だったロナルドに足を引っ張られた、という見方は根強い。ジョン・ピアースンの『ザ・クレイズ 冷血の絆』などでも踏襲されている視点だ。だが、双子の夢がどこにあったのかを考えると、そうした見方は一方的すぎるかもしれない。ある意味で、レジナルドはロナルドに暴れてもらうことで、自分の夢想を実現していた。アメリカン・マフィアの夢を見ていたクレイ兄弟にとって、ロナルドの暴走は二人の夢の実現だったのだ。二人の共生関係で実現した夢は短くはかなかった。だが、兄弟にとって、それは十分すぎるくらい濃密なものだったろう。