アルプス 天空の交響曲(シンフォニー)

2015年4月18日 シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー!





イントロダクション
春から夏にかけて、アルプスの麓には緑豊かな牧草地帯が広がり、川には透き通った雪解け水が流れます。短い秋が過ぎる頃には山頂から雪化粧が始まり、やがて麓まで純白の世界に。ゴンドラに乗ってやって来るスキーヤーは、雄大な景色を眺めながらスキーを楽しみます。アルプスはヨーロッパに暮らす人には身近な存在かつ、恵みの水を分け与えてくれる偉大な存在なのです。

「アルプス天空の交響曲」はドイツ、オーストリア、フランス、イタリア、スロベニア、リヒテシュタイン、スイスの7カ国にまたがるアルプス山脈を空中から撮影したドキュメンタリー。地上からは見られない アルプスの姿、登山者ですら見たことない上空からの大パノラマが広がります。

アルプスは東西約1000km、南北約150km。最高峰のモンブラン4810m) をはじめ、マッターホルンなど4000m級の高山が連なっています。3400万年前から2300万年前)から中新生2300万年前から530万年前)に、アフリカ大陸とユーラシア大陸が衝突したことで地上に現れました。その後、氷河に削り取られたため、岩肌も露わな渓谷が誕生しました。

アルプスが人類に与える恵みは澄んだ雪解け水だけではありません。急斜面で放牧される牛からとれる乳製品は日本でも知られていますが、豊かな水量と高低差を利用した水力発電や削られた岩から生まれる砂利など、意外な場面で役立っているのです。平時には険しい岩峰は観光や登山といったレジャーとして利用されますが、戦時には要塞となり、敵の行く手を阻む巨大な迷宮として利用されたことも知っておくとよいでしょう。

人間を拒むように切り立つ峡谷や高峰にそびえ立つ十字架など、全編を撮影したのは、ヘリコプターに搭載された「シネフレックスカメラです。アメリカの謀報局が開発した特殊カメラで、揺れに強く、ブレのないズーム撮影を得意としています。航空映像ドキュメンタリーが専門のベーター・バーデーレ監督は、このカメラで本作の前章というベき航空映像ドキュメンタリー映画『Die Nordsee von oben』(12 未)を撮影し、ドイツ本国で21万5千人の動員を記録しました。

地球が産み出した荘厳なアルプスに言葉を失い、太陽が照らす稜線の陰影にため息がこぼれる94分間の遊覧飛行。鳥になった気分でパノラマビューを堪能してください。
プロダクションノート
アルゴイ地方
バイエルン州アルゴイ地方は冬が長く厳しい山岳地帯のため農業に不向きで、酷農が盛んだ。バイエルン州では、ドイツ国内で生産 れるチーズの3/4が作られている。特にアルゴイ地方はチーズの名産地として有名で、「アルゴイアー・エメンターラー」「アルゴイアー・ベルクケーゼ」が人気。あまり知られていないが、実はドイツはEU主要5カ国の中でも生乳とチーズ、バターの生産量トップを誇る。※2012年現在
リンダーホーフ城
夢想王、狂王、メルヘン王などと呼ばれたバイエルン王ルートヴィヒ二世が建設した城で、1878年に完成した。ヴェルサイユ宮殿の庭園内にあるブチ・トリアノン宮殿を手本にしており、外観はバロック様式が加味されたルネサンス様式で、内装はロココ調の絢爛豪華な装飾がほどこされている。広大な敷地内にはひな壇式の庭園や、ヴィーナスの洞窟、モロッコ風の家、ムーア人の園亭、フンディングの小舎、グルネマンツの庵などがある。
ルートヴィヒニ世が建設した城は他に、ノイシュヴァンシュタイン城や湖上の島に作ったヘレンキームゼー城がある。
ヴェルドン渓谷
マルセイユとニースから車で約2時間、ブロヴァンス地方の奥深くにあるヴェルドン渓谷は、ヨーロッパのグランドキャニオンとも呼ばれている。深さは約700~800mで、石灰石むき出しの荒々しい姿とヴェルドン川のエメラルドグリーンの対比が美しい景勝地。ハイキングコースも多く、川ではカヌーやウォーターハイキングなどのアクティビティも盛ん。周辺には「フランスの最も美しい村のひとつに認定された村が点在している。
モンブラン
標高4810m、ヨーロッパアルプスの最高峰。モンは山、ブランは白を意味する。初の登頂成功は1786年、水晶細工人のジャック・パルマと科学者ミッシェル=ガブリエル・パッカールによる。山頂は厚い氷に覆われており、標高が気候によって変動するため、 2003年には猛暑のため前年より2mも低くなった。定期的に計測が行われている。
モンブラン登山者が宿泊するフランス側の麓の街シャモニーは、スキーの聖地として人気で、1924年に第1回冬季オリンピックが行われた。現在では山岳スポーツの中心地であり、モンブラン登山者はここからケーブルカーと登山列車を乗り継いで、山頂を目指すのがー般的だ。
レッシェンの人造湖
1950年に水力発電所の建設のために、レッシェン湖とグラウン湖を造成して作られた。面積は6.6km2で、海抜1000m以上にあるアルプスの湖の中で最大。水面下にはグラウン村とレッシェン村のー部が沈んでいる。人造湖建設のために、170軒の家や建物が爆破され、120の農場が廃業、1000人が移住を余儀なくされたという。湖面にそびえ立つ鐘塔はグラウン村にあった教会のもので、建立は14世紀中頃とされる。
この鐘塔には不思議なエピソードがある。1950年7月23日の日曜日に教会の爆破工事が行われ、聖堂は計画通り崩れたものの、鐘塔は倒壊しなかったという。結局、コンクリートを詰めて水没させる処置がなされた。3つあった鐘は取り外されて保存されているが、冬の嵐の夜には鐘の音が谷に響き渡るという噂が語り継がれている。冬には湖面全体が凍り、スケートを楽しめる。
ドロミーティ
イタリアとオーストリア国境付近に広がる山岳地帯で、空に突き上げる鋭い岩峰群は、見る角度、時間帯、季節等によって様々に変化し、人々を魅了してきた。冬場はスキーヤーが、夏場はトレッキングに訪れる観光客がヨーロッパ中から訪れる人気の景勝地として愛されている。2009年に世界遺産に登録された。
ドロミーティと名付けられたのは18世紀のこと。フランスの地質学者デオダ・ドゥ・ドロミューがー帯で岩石を分析したところ、炭酸マグネシウムの含有量が高い石灰石であると発見し、彼の名にちなんで苦灰石 (ドロマイト)と名付けられ、ドロマイトでできた山ということから、ドロミーティと呼ばれるようになった。
第一次世界大戦下では、90万人のイタリア軍兵士と80万人のオーストリア軍兵士がドロミーティを挟んでにらみ合い、凄惨な戦闘が繰り広げられた。コル・ディ・ラーナ山では頂をめぐって激戦となり、前進するために山の半分が爆破された。現在でもー帯の山の尾根や岩肌には防御溝や要塞が残されている。寒さと銃弾の犠牲になった兵士は、両軍合わせて15万人にのぼるという。
この時に両軍が移動のためにケーブルや吊り梯子、吊り橋などを装備したルートは、今でも登山コースとして利用され、「ヴィラ・フェラータ」と呼ばれている。






マッターホルン
標高4478m。西アルプス山脈に属し、山頂にスイスとイタリア の国境が通る。mattはドイツ語で牧草地、hornは山頂を表す。魔物の棲む山と恐れられ、有史以来人間を拒み続けてきた霊峰。 初の登頂成功は他の山に比べると遅く、1865年。エドワード・ウィンパーらイギリス人登山家グルーブが9度目の挑戦で初登頂に成功したが、下山中に6人中4人が滑落により死亡し、ウィンパーとガイドひとりだけが生き残った。ウィンパーが後に記した 『アルプス登攀記』(講談社学術文庫)に、当時の様子が生々しく描かれている。
2012年にバラエティ番組「世界の果てまでイッテQ!」でタレントのイモトアヤコが登頂したことでも知られる。今でこそ、登山家の間では難易度はそれほど高くはないとされているが、世界三大北壁の1つに数えられる北壁ルートは、熟練者でも困難を伴うという。
氷河特急 グエッシャー・エクスプレス
サンモリッツとティラーノ間を、7つの谷、291の橋、91のトンネルを通り抜けて、約8時間かけて走り抜く観光列車。車窓に広がるアルプスの名峰、美しい森や牧草地、山間の急流や渓谷などの絶景を乗客に満喫させるため、平均時速は約34km。「世界一遅い急行 (特急」との愛称がついている。最高地点は2033mのオーバーアルプ峠。
アレッチ氷河
アルプス山脈最長の氷河で、約22.7km (2011年観測データ)。アルプスの氷河は凍結した水の塊を保存する役割を果たしており、解け出した水はローヌ川の支流、マッサ川に流れ込み、発電用のダムにせき止められる。
アルプスには大小合わせて約5000の氷河が存在するが、20年後には地球温暖化の影響を受けて半分が消滅すると予想されている。
アイガー北壁
スイスを代表する名峰アイガー(標高3970m)の北壁は高さは1800mで、マッターホルン北壁、グランドジョラス(モンブラン山塊にある)北壁とともに、アルプスの三大北壁と呼ばれている。天候が数分で急激に変化し、石壁にぶつかった風が乱気流を発生させて岩や氷の塊を落とすなど悪条件が多く、世界有数の絶壁に数えられる。
1936年にはアイガー北壁制覇で国威発揚を目論んだナチス政府が登頂成功者にベルリン・オリンピックの金メダルを授与を約束し、ドイツとオーストリアの2隊が挑戦。しかし、負傷や墜落など事故が続き、挑戦者全員が死亡する悲劇となった。この悲劇は映画『アイガー北壁』(08)や『運命を分けたザイル2』(07)や石原慎太郎の小説 『北壁』などで描かれている。
初登頂はその2年後の1938年で、ドイツ隊とオーストリア隊が3日間かけて登頂に成功した。2011年にはスイス人山岳ガイドのダニー・アーノルドが北壁登攀の最も容易なルートとされるヘックマイヤー・ルートを2時間28分で登攀する世界記録を打ち立てた。ー般的には登攀に1~3日間を要するという。
エルツベルグ鉱山
オーストリアの南東部に位置するシュタイアーマルク州にある鉱山。ー帯は鉄資源が豊富で鉄鋼業が盛んなため、「鉄の辺境地」とも呼ばれている。もともと標高1500mあった鉱山は削り取られ、7年後には跡形もなくなる。
毎年初夏、この特殊な地形を生かした世界一過酷なオートバイレース「エルツベルグ・ロデオ」が開催される。4日間で45000人の観客が集まり、1500人以上のオフロードライダーが急斜面を走り抜けるコースに挑戦するが、完走率は参加1500台中1%以下の10台程度。日本からの参加者もいる人気のレースだ。
ゼメリング鉄道
1854年に開業した世界初の山岳鉄道で、ヨーロッパの中で最も高所を走る。グログニッツからゼメリング峠を通り、ブラームスゆかりの地ミュルツツーシュラークまでの41.825キロを結ぶ。
建設当時は土木機械もダイナマイトもなく、すべて人の手で作られた。現在、16のトンネルと16の高架橋がある。高架橋の一部は二層構造となっており、路線の目玉となっている。トンネルや構造物は 自然の環境に調和するように造られているのが特徴。鉄道全体が世界遺産に登録されている。
シネフレックスカメラ
インタビュー
これら数多くの素晴らしい映像の撮影はどのようにして実現したのでしょうか?

バーデーレ: 我々は、この新しく開発されたシネフレックスカメラを、ドイツで初めて前作『Die Nordsee von oben』(13) で試す機会を得たんだ。ラッキーだったよ。そしてすぐさま目を見張るような映像に感激したんだ。ヘリコプターの下に取り付け、遠方からのブレのないズーム撮影が可能なため、映像はこれまでにないほど鮮明なものに仕上がった。前作が大成功を収めた時に、我々は別の神話の風景で試したいと思ったんだ。神話の風景というのは、他ならぬ山々の中にある。次の研究エリアはすぐに決まったよ。

アルプスの神をどのように表現しましたか?

バーデーレ:アルペンは、高度な文明の浸透が著しいヨーロッパの真ん中に存在する、ワイルドな自然地域だ。我々はそれをほとんど気に留めないけどね。厳しい自然の風景、その中に人間は何度も溶け込もうとしてきた。アルプスをレクリエーションの楽園としてだけでなく、このような観点から見ると、どんどん新しい発見が出てくるんだよ。

それはどのような発見なのでしょうか?

リンデマン:例えば地質学だ。アルプスは2つの大陸プレートに押し出されてできている。この膨大な圧力によって、岩に上向きの力が働き、数百万年にわたってマッターホルン、モンブランなどの堂々とした山々が生まれた。今日もまだ、アルベンは年に数ミリメーター弱高くなっているんだ よ。でも、劇的な増大はあり得ない。風化して削れてしまう部分もあるからね。

撮影は素晴らしい経験となったのではないですか?

バーデーレ:まさにそのとおりだよ、ただ思っていたよりもずっとタフな撮影だったけどね。

リンデマン:準備作業の後、予定では2週間で撮影は完了できると思っていたんだ。

バーデーレ:だが、合計3ヶ月かかった。予定どおりに行ったことは一度もなかったよ。例えば、どこも太陽が照っているのに、撮影する予定の小さな渓谷だけに雨雲が立ち込めていて、視界をさえぎられてしまったりだとか・・・。いつも天候に左右されていたから、一瞬の間に撮影できるようにしていたんだ。スタッフは常に神経を張りつめていたけど、同時に自然に対する忍耐と畏敬の念を学んだよ。

撮影の一日はどのような流れでしたか?

バーデーレ:早朝の光が特に良いので、ヘリコプターで6時には出発していたね。オフィシャルのヘリポートは、8時以降しか使えない。だから、ホテルまたは農家の近くの芝生にヘリコプターを停めておいたんだ。もちろん、お役所の許可は得ているよ。そういう場所なら、何時からでも飛行を開始していいからね。地上では、荷物を運んでくれる応援車両と、一日5回の補充が必要なヘリコプター用の燃料車も随行していた。飛行時間だけで約6時間、午後5時ごろにその日の撮影を終えると、みんなかなり疲れきっていた。飛行機に揺られているのは、全身はもちろんだが、特に目がとても疲れるんだ。

ヘリコプターには、どんなメンバーが乗っていましたか?

バーデーレ:当然のことながらパイロットだ。それから、撮影指揮をとるアンドレア・モコシュ。彼女は、5分刻みに次の飛行目的地を新たに設定していた。悪天候にたびたび邪魔されたけどね。もちろん撮影スケジュールはタイトだった。それからシネフレックスカメラを操作したクラウス・シュトゥール。彼はこれを非常に上手く使いこなせて、世界中から問い合わせがきているんだよ。そして最後に、私が監督として同乗していた。合計で4人ということになるね。

撮影中に、予想もしなかったアクシデントはありましたか?

バーデーレ:アルプスの空域は監視されていない。これは撮影者にとって非常に危険なことなんだ。一度、リヒテンシュタイン側の山の陰からで出てきた救助ヘリコプターに追突しそうになったことがある。また、ほとんど気づかないくらいの、または地図上には載っていないような小さな高所リフトや電気ケーブル等がいたるところに張られているんだ。ヘリコプターが巻き込まれたら墜落してしまうよ。

リンデマン:でも常に悩まされたのは蚊だよ。50万ユーロの高価なカメラの高感度レンズは、空気中を数万倍の速さで飛び回るイザール湿地の虫に対応できないんだ。一匹でも光学オプティックに入ってしまうと、その映像は使い物にならない。チームはすぐさま地上に戻り、レンズをきれいにしなければならなかった。私は撮影日ごとの映像素材が使えるかどうかをチェックする立場だけど、何度も撮影を中断しなければならないバーデーレには同情したよ。


鷲の飛行視線からの印象的な映像はどのようにして撮れたのでしょう

リンデマン:その点に関して我々はとても誇りに思っているんだ。というのも、このようなことはこれまで誰もなしえなかったことだからね。映像は、鷲匠パウル・クリマ氏のゴールデンイーグル、”スカイ”に装着し、首用カメラによって撮影された。鷲による撮影映像とヘリコプターからの撮影映像を組み合わせたんだ。例えば3キロメートルの急降下飛行の映像の場面なんかでね。

シュトゥバイ氷河上に溶融を遅らせるために設置されたプラスチック製のマットがどれほど 巨大なものかも映し出されています。

バーデーレ:とても劇的だよ。数十年後には、この氷河はもはや存在しないだろう。この溶融によって、生態系は破壊され、飲料水の量は減少し、もちろん観光客をも遠ざけてしまう。遠い先の 未来の話をしているわけではないんだよ。数年後にはすでに不気味な、まるで今とは違う場所のように見えるだろうね。 この点において、この映画は素晴らしい癒しの場を、そしてもうすぐ癒しではなくなってしまうアルプス界における多く の土地の最後の光景を映し出しているといえるよ。

環境保護は重要なテーマでしょうか?

バーデーレ:それは当然、重要なテーマだ。しかし大量のスキー観光客で利益を上げている各地域においては、むしろそれほど重要なテーマではない。我々の観察から、特にオーストリアとフランスの地域はもうすぐ月面のような環境になる恐れがある。もっと美しいのは、バイエルン上空を飛行することだね。例 ば、ルートヴィヒ国王によって建てられたリンダーホーフ宮殿上空は、周囲の自然が100年前と変わらず、谷も当時のま ま、ホテル密集地域に続く道も建設されていない。素晴らしいよ。

この映画の仕事によって、あなた自身に変化はありましたか?

リンデマン:これまでは素敵な旅行先としてしか知らなかったけど、山々の壮大さとパワーに対して、多くの敬意 ---畏敬の念といったほうが良いかもしれない---そういった感情を持つようになった。始めは信じられなかったけど、今は確信を持っている。峰々は幸せをもたらすとね。ゆっくり時間をかけて大自然を観察し、そしてリラックスする。この映画をご覧になる皆さんに少しでも体験してもらえると嬉しいよ。

スタッフ&キャスト
ペーター・バーデーレ/監督&製作

1960年生まれ。ハンブルク出身。名門ヘンリ・ナネン・ジャーナリズム学校での職業訓練プログラムに参加。ラジオやテレビの仕事でハンブルク財団のストラスブルク賞、ジョン・J・マクロイフェ口ーシップ賞ほか多くの賞を受賞。96年に自身の制作会社Vidicomを設立。この会社では、人間の歴史と強く結びついた、科学・歴史・文化をテーマにした国際ドキュメンタリーに焦点を当てている。映画作品「Concorde: Anatomy of a Disaster」(03/未)、「The Bridge of Mostar」(04/未)は30ヶ国語以上の言語に翻訳され世界中に配信されている。09年、カリフォルニアで新たに開発されたシネフレックスカメラの可能性を見出し、以降、自社商品の重心を高品質な航空映像ドキュメンタリーに置き、自ら監督としてヘリコプターに乗り込み指揮を取っている。ドキュメンタリー映画「Die Nordsee von oben」(13)には21万5千人以上の観客が映画館に足を運んだ。

セバスチャン・リンデマン/共同監督

1979年、ロストック生まれ。ケルンのメディア向け芸術アカデミーに通う前に、映像&サウンドのメデイア・デザイナーとしての職業訓練を受ける。それ以来、様々な映画プロジェクトにフリーランスの作家として、また監督として参加。本作では大掛かりな準備作業を担当しており、撮影後にはペーター・バーデーレと共同で編集デスクとしてストーリーを編集する作業にも携わった。


アンドレア・モコシュ/プロデューサー

ブレーメンにてジャーナリズムの学位を取得後、テレビ中心にジャーナリストとして活躍。09年よりハンブルグの制作会社Vidicomに所属。本作ではクルーとしてヘリコプターに同乗して、タイムプランや飛行ルートの管理を担当した。

クラウス・シュトゥール/カメラ

1961年、ヘッセン州生まれ。幼少より映像に強い興味をもち、12歳の頃には地元バード・ラープフェの地方新聞の写真を撮影していた。87年からZDF(ドイツ第二公共放送)にて職業訓練を受け、日本に駐在していた1年間(96年)を除く13年もの間、マインツの放送局での仕事に従事する。00年以降、映画、広告、テレビ向けのフリーカメラマンとして働き、08年にはSkycam HD社を設立。今では航空写真の専門家として世界中から仕事のオファーが絶えない。
スタッフ&キャスト
ユーラシア旅行社ドイツアルプスの旅