“ワイン真空地帯”のジンバブエ共和国から、4人のソムリエが「世界ブラインドワインテイスティング選手権」に初参戦する珍事が起きた。ジンバブエから南アフリカに逃れた難民かつ黒人の“チーム・ジンバブエ”を迎え撃つのは、“神の舌を持つ”23カ国の一流ソムリエたち。先進国の白人が多数を占めるスノッブな世界に、故郷ジンバブエの威信をかけて乗り込んだジョゼフ、ティナシェ、パードン、マールヴィン。クラウドファンディ ングの支援を受けてワインの聖地フランスのブルゴーニュにたどり着いたものの、限られた経費で雇ったコーチは久し振りの晴れ舞台で大暴走。浮き足立つ“チーム・ジンバブエ”の波乱に満ちたスリリングなワインバトルの結末はいかに!?
“ワイン真空地帯”のジンバブエ共和国から、4人のソムリエが「世界ブラインドワインテイスティング選手権」に初参戦する珍事が起きた。ジンバブエから南アフリカに逃れた難民かつ黒人の“チーム・ジンバブエ”を迎え撃つのは、“神の舌を持つ”23カ国の一流ソムリエたち。先進国の白人が多数を占めるスノッブな世界に、故郷ジンバブエの威信をかけて乗り込んだジョゼフ、ティナシェ、パードン、マールヴィン。クラウドファンディ ングの支援を受けてワインの聖地フランスのブルゴーニュにたどり着いたものの、限られた経費で雇ったコーチは久し振りの晴れ舞台で大暴走。浮き足立つ“チーム・ジンバブエ”の波乱に満ちたスリリングなワインバトルの結末はいかに!?
“チーム・ジンバブエ”のキャプテン。南アフリカ・ケープタウン屈指のレストラン「ラ・コロンブ」でヘッドソムリエを務める。2008年、故郷のジンバブエ・チルマンズ郡に母と当時2歳の息子を残し、妻と一緒に貨物列車で南アフリカへ密入国した。初期に滞在していたヨハネスブルグでは、メソジスト派の教会に身を寄せながらオーナーシェフのマインハート・ジョーバートの畑で働いていた。誕生日パーティーでジョーバートが空けてくれたスパークリングワインで開眼。周囲が驚くほどワインに興味を示し、情熱と誠実さが認められてウェイターに抜擢され、ソムリエへの道を歩き始めた。
南アフリカで6年連続トップに選ばれ、世界のベストレストラン50の常連「ザ・テスト・キッチン」で、シェフソムリエを務める。オーナーシェフのルーク・デール=ロバーツは「心底共感できるソムリエと仕事したのは初めてだ」とティナシェに信頼を寄せるが、南アに来た時には、ワインは赤と白しか知らなかった。2008年1月に友人と故郷のニャンガ県を離れ、南アに逃れる。幼少時代を過ごした祖父母が所有する大農園で野生の果実を味わい、自然と味覚を磨いていた。選手権直前にインフルエンザに感染し、チームメイトを焦らせる。夢は祖父とぶどうを植え育てること。
南ア屈指のレストラン「オーベルジーヌ」でソムリエを務める。5歳の時に父を亡くし、家政婦の母がパードンら2人の子どもを育て上げた。母と家族を支えるために南アへ来たが、妻のバッツィーと国を離れた直後に母が急死する悲劇が。ウェリントンのレストランでジョゼフと出会い、彼が客にワインを説明する様子に興味を持つように。それまでワインを口にしたことはなく、初めて飲んだワインで2日間寝込んだ苦い過去を持つ。チームの中でもいちばんの競争好き。
テーブルマウンテンの山裾にある高級リゾート「ケープ・グレイス・ホテル」でヘッドソムリエを務める。キリスト教ペンテコステ派の敬虔な信者である両親のもとで育つ。現在、南アで妻のスコリウェと3人の娘と5人で暮らす。南アでコンピュータを学ぶための学費稼ぎで働いていたレストランで、4年前にワインと出会う。アルコールは厳禁の宗派だったが、聖書のヨハネの福音書にある「キリストが最初の奇跡で水をワインに変えた」を独自に解釈してよしとしている。夫をサポートするために、スコリウェも一緒にワインを勉強している。
世界で最も影響力のあるワインジャーナリスト。別名《ワインの女王》。オックスフォード大学卒業後、「ワイン&スピリット」編集を経て、1989年からファイナンシャル・タイムズ紙のワイン特派員としてコラムの執筆のほか、数多くの著書を刊行。1984年には女性として初めて《マスター・オブ・ワイン》の称号を与えられる。2003年にはエリザベス2世から大英帝国勲章を授けられ英国王室のワインセラーのアドバイザーに就任。
南アフリカチーム・コーチ。家族経営のレストランのソムリエからスタートし、ミシュランのレストランでのシェフソムリエ、仲介業、小売業など様々な形でワインに携わる。1996年に初めて南アフリカを訪れ、そのブドウ畑に惚れ込み永住を決意。自身のワインレーベル「シグナル・ヒル」を立ち上げ、多くのプロジェクトにコンサルタントとして参加。2013年には南アフリカワイン・テイスティング選手権を創設し、世界ブラインドワイン・テイスティング選手権に南アチームを送り出し、2017年にはジンバブエチームを初参加させた。また、ソムリエ・アカデミーを運営し優秀なソムリエを育成するなど、南アフリカにおけるワイン業界の発展に貢献し続けている。
ジンバブエチーム・コーチ。1980年代、ワイン雑誌「ラ・ルヴュ・デュ・ヴァン・ド・フランス」広告担当としてキャリアをスタート。1990年代にはリュックを背負ってバイクで18か月間ケープ地方のすべての葡萄畑を旅し、南アフリカの4500種類のワインのほとんどをテイスティングした。高級レストランのヘッドソムリエ、シャンパンやコニャックの有名テイスター、料理人、漁師、釣り人など自らを「ワインの冒険家」と呼ぶにふさわしい人生を送ってきた。《世界のベストソムリエ2007》受賞。
世界で最も有名なワインの権威のひとりであるジャンシス・ロビンソンが、ジンバブエ難民の4人が南アフリカのトップソムリエに急成長していると教えてくれた時、私たちは驚きと同時にそのストーリーに引き込まれました。その4年前に長編ドキュメンタリー映画『世界一美しいボルドーの秘密』を制作した私たちは、ワイン業界はヨーロッパ中心で、排他的で、圧倒的に白人が多いことを知っていましたから。
ジンバブエは、ワインの生産も消費もほとんどない国です。ロバート・ムガベの残忍な政権から逃れるまで、ワインを味わったこともなかった4人が、ケープタウンの4大レストランのヘッドソムリエになったのはなぜだったのでしょうか?
さらに驚いたのは、彼らがフランスで開催される世界ワインテイスティング選手権で、他の24カ国と競うために初の黒人チームを結成していたことでした。
彼らが最高峰の舞台で戦うには、何が必要なのか。どうして チャンスがあると信じられるだろうか?成功する確率は圧倒的に低い。ワインの世界は本気で相手にしてくれるだろうか?
私たちは、彼らの旅路と原動力をもっと知りたくなりました。そして、それは難民の暮らしや、彼らが新たな社会で直面する問題、そして生まれた国から追い出された人々にとって「家(ホーム)」とは何かということに光を当てる物語を作るチャンスでもあったのです。彼らのストーリーは、文化や人種の壁を取り除き、橋渡しをするための、より深い探求に繋がるのだと強く感じました。
彼らが南アフリカで認められ成功することが出来たのは、自分自身と家族のために、より良い暮らしを実現しようという、非常に強いポジティブ思考の賜物でしょう。
そして、彼らのジンバブエへの強い愛にも心動かされました。選手権出場を通して、母国ジンバブエの未知なる可能性を世界に示すことが出来たし、そしてこのスポットライトで、抑圧的な政権の下で生きてきたジンバブエの若者たちに勇気を与えたい、と彼らは強く願っていましたから。
この映画は単なる大会への挑戦だけでなく、希望と変革の物語なのです。
ワーウィック・ロス&ロバート・コー
1955年香港生まれ。1965年にオーストラリアに移住。メルボルン大学卒業後、南カリフォルニア大学映画芸術学部に進学。『青い珊瑚礁』(80)のアシスタントとしてキャリアをスタート。『ロードゲーム』(81)や『キャプテン・ザ・ヒーロー/悪人は許さない』(83)などオーストラリア映画に携わる。プロデューサーとして参加した『ヤング・アインシュタイン』(88)が大ヒット、ワーナー・ブラザーズがオーストラリアで公開した映画の中で最も成功した作品となり、フランス、ドイツ、イギリスでは興行収入1位を記録した。プロデューサー、監督、脚本を担当し、ナレーションをラッセル・クロウが務めた長編ドキュメンタリー映画『世界一美しいボルドーの秘密』(13)はベルリン映画祭で初公開されトライベッカ映画祭にも出品、オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞と監督賞を受賞したほか、オーストラリア作家協会賞も受賞している。パートナーであるロバート・コーと制作会社third man filmsを設立、本作の製作・監督を務めた。
シドニーを拠点に活動するプロデューサーで脚本家、監督。『世界一美しいボルドーの秘密』(13)にエグゼクティブ・プロデューサーとして参加。ギャレット・ディラハントとアンジェリ・バヤニが主演した『Beast』(15)、『ハッピーエンドの選び方』(14)などをプロデュースしている。パートナーであるワーウィック・ロスと制作会社third man filmsを設立し、本作の製作・監督を務めた。