KIRIKOU キリクと魔女
キリクは魔女を恐れない
イメージ1  私の中で、この物語の始まりはすでに出来上がっていた。もちろん、将来作る映画を念頭に入れつつ、構想を練り始めた。物語の冒頭で、小さな子供は母親の胎内から出産を要求する。それに対し、母親が子供にした返事は、もう自らの力で生まれ出ることができるのだ、という確信めいたものだった。子供が生まれた村の村人たちは、この村を支配する呪いの恐怖を受け入れ、立ち向かおうとはしていなかった。だが、この子供は違った。やがてこの子供は村人たちを呪いから救うのである。
 私がこの映画の脚本をプロデューサーから頼まれた時、"キリクは魔女を恐れない"というアイディアが浮かび、それが全てを形作っていくことになった。素晴らしく力強い物語なのだ。私は、アニメーションの舞台となったことのない美しい王国アフリカを長年描きたいと思っていた。(『ライオン・キング』は、アフリカ設定のようだが、アフリカでもなく、アフリカ人も登場してこない)アーティストとして、また作家としての私の情熱もあったが、もっと個人的な理由も存在していた。ギニアでの素晴らしい子供時代を過ごした私にとって、この大陸への憧れは自然ともいえるものだったのだ。アフリカに伝わる物語をスターティングポイントとして参考とし、私の子供時代に思っていた疑問や大人になってから得た信念や知識などをこの物語の骨組として加えた。
イメージ2 私はキリクと魔女を対照的なものとして表わしている。キリクは小さく、衣服も身につけていない。一方、カラバは魔女。宝石をまとい、悪意と権力に満ちた優美な存在だ。
キリクが全編を通して疑問に思うこと――「どうして魔女カラバは意地悪なの?」それが物語の中心となっている。大人はこの疑問に対しての答えを持っているが、子供は違う。しかし、子供であるキリクは自らの手で真実を得る。彼はオリジナルの物語の中では、カラバを殺すという、単純な答えの出し方をしない。もうひとつの中心は、「魔女」を恐れぬ者は、自分の目標に到達することができる、ということだ。おまじないや迷信などを信じず、直面した問題に自ら立ち向かうこと。私のヒーローたちはみんな自立しているのだ。キリク、キリクの母親、彼の祖父、そしてカラバ……。
 もうひとつのテーマも、自然と伴ってきた。アフリカらしい課題、家族や部落の大切さ、肉体の調和、そして世界的テーマともいえる戦争や性(魔女カラバは美しい女性であり、男達と戦いを繰り広げる)、利他主義、賢さ、赦しあうこと、時間の流れ、そして愛。それは、男と女の愛、もちろん母と子の愛。民俗学などは関係しないものなのだ。
イメージ3  アフリカを映像としてどのように表現するか、それが問題だった。アフリカには彫刻や装飾系などの芸術が古くからの伝統として存在する反面、肖像的、また人物が題材となったアートが少ない。私は背景のデザインにおいては、アンリ・ルソーからインスピレーションを受けた。人物を描くにおいては、エジプトのアートのようにシンプルで、美しい人々を、美しく描きたいと思った。また、呪い鬼たちや置き物、偶像は、Art Negre(黒人芸術)から直接影響を受けた。呪い鬼たちに関しては、参考にする物の選択肢は充分あった。色使いにおいては、子供時代の鮮明な思い出からヒントを得た。オークル色の村々、黄色いサヴァンナ、エメラルド色の森、緑の河、魔女の住む灰色の家、お祭りにいる虹色の民衆。
 自然の流れか、音楽もアフリカのミュージシャンたちによって作られた。これはアフリカの物語であり、アフリカはその音楽で世界に印象をつけている。我々はユッスー・ンドゥ―ル氏という、海外的な知名度がありながらもいまだにダカールに住み、レコーディング活動をしているミュージシャンにサウンドトラックを手掛けてもらった。実は、私は彼に更なるアフリカ色を出した音楽作りと伝統的な楽器を特別に使用して欲しいと頼んだ。そして声のレコーディングには、アフリカ(セネガル)人の俳優たちを起用した。森や茂みに住む村人達の声を、ヨーロッパ調の声にしたくはなかったのだ。このちょっとしたアフリカ色を出すための工夫を、私は非常に楽しんだ。私は、この映画をショートフィルムの製作をしたときと同様のプロセスで撮った。私は自然と物語を考え、脚本を書き、設定をデザインし、キャラクターとその背景を描き、それぞれが作られていた全ての場所へ赴き、監督した。これは個人的な映画なのである。
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8/2(土)、恵比寿ガーデンシネマにてロードショー